リリウム×パークマニー 英国王立園芸協会(RHS)創立200周年記念〔植物画の至宝展〕で展示された貴重な植物画です。RHS本部リンドリー図書館には約22,000点のボタニカルアートが所蔵されています。

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リリウム×パークマニー
(Lilium×parkmanni)

スネリング、リリアン
(Snelling, Lilian, 1879−1973年)

水彩、紙、57×39.5cm
署名:Lilian Snelling;年記なし

 Liliumとは、この植物を指す古代ラテン語である。Lilium×parkmanniは、19世紀半ばにヨーロッパとアメリカで熱狂的に珍重された日本ユリの二つの品種を交配したものである。カノコユリLiliun speciosum(直訳すると、「派手なユリ」)は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本で採集し、1832年にヨーロッパに紹介した。ヤマユリLilium auratumは1862年に日本で採取され、ジョン・グールド・ヴィーチ(John Gould Veitch)とロバート・フォーチュン(Robert Fortune)の二人が、イギリスにその球根を送ったが、先に届いたのはヴィーチのもので、同年7月に王立園芸協会で展示された。この二種のユリの交配は1869年にボストンでフランシス・パークマン(Francis Parkman)によって初めてなされた(訳注:1864年のHovey’s Variety, C.M. Hoveyの同交配が最初であって、パークマンの交配は2番目ではないかと考えられる:The International Lily Register, 1982)。彼は、アメリカにおけるフランス植民地を専門とする偉大な歴史家であったが、同時に代表的な園芸愛好家で、アメリカ園芸協会の初代会長を務めた。彼は、交配種を鱗片繁殖によって増殖させ、その一部を、花の直径が1フィートもあろうかという大輪のユリの品種として、アンソニー・ウォータラー(Anthony Warterer)に送った。これは1875年の『ガーデナーズ・クロニクル』で、Lilium×parkmanni(パークマンの署名は読みづらいかもしれないが)として初めて紹介された。当初の熱狂の後にパークマンの交配種は絶滅し、1914年になって交配が成功したが、それもまた絶滅し、現在あるものはオーストラリアの育種家、ロイ・ウォレス(Roy Wallace)によるものである。  本作品の制作背景は知られていない。